お金持ちになる方法研究会(金方研)

お金持ちになると決めて早5年。実際にお金持ちになる道を突き進みながら日々思ったこと・勉強になったことを綴る密着ライブブログ!

カテゴリ: 名言

(ワインのコルクば折るなんて!)

(しかも客の前で!)

(普段ならコルク抜くくらいなんでんなか!)

(いや、そもそも向いちょらん!)

(俺、料理人やもん。)

(サービスは俺に向かんったい!)


「(その表情をじっと見て)・・・・・・・・・バンビ。」

「・・・・?」

「アンタ何でこの店にいるんだい?」

「・・・・・・今は接客(サービス)です。ばってん……ゆくゆくは一流の料理人になりたいからです。」

「・・・・・・・・・・・『ゆくゆく』は、だぁ?

ならナンでアンタの目はそんなに腐ってんだい!?」

「!!!!」

「今、懸命になれない奴が……将来なんざ語ってんじゃないよ!!」



小学館の漫画「バンビーノ」の一場面である。大学を途中で休学し、東京・六本木の人気イタリアン「バッカナーレ」で働き始めた主人公・伴省吾(=バンビ)。


「将来オーナーシェフ(自分の店を持っている人)になるなら、接客は一度はやっとけ!」


というオーナーの言葉通りに接客をし始める。

しかし、ずっと料理を作ることばかり考えてきた伴は接客というものがまるでわからず、失敗ばかり。

今日のおススメは説明できない。

客の態度に猛然と突っかかっていく。

他のサービススタッフにぶつかってグラスを割る。

失敗を犯す時の判の頭にある言葉はいつも一緒である。


「俺は料理人になるためにここに来たったい!接客するためやなか!」



そんな折、東京アパレル業界の第一人者であり、バッカナーレの常連客でもある野上のテーブル担当になる。そこでワインのコルクを開けることに失敗した、その後の場面が冒頭の場面である。


私たちの人生においても判と同じように思ってしまう、また過去に思ってしまったことがある人というのは少なくないだろう。自分の期待していた通りのものが用意されなかった。しかし、期待通りのものというのは果たして用意されてきただろうか。

他の場面で接客に苦しむ判に対して放たれた言葉がある。


「意に沿わない仕事をしている人はたくさんいるさ・・・・今の境遇をプラスにできるか否かは――――判君次第だね


この通りである。

仕事に限らず「自分の期待通りにいかない」ということはいくらでもある。

逆に、何か物事を始めるときに最初から思い通りの結果が出せるんであれば、努力も要らないし、思考も必要なく、主体的意思もなくても、みんなお金持ちだし、人格も非常に高い次元のものになっているだろうし、苦しむ要素が全くなく生きていけるだろう。


しかし、現実はそうじゃないし、そうであってはいけない。


自分の境遇に悲観せず、

その境遇における自分の働きを最大限発揮しようとすること、

今学んでいることが自分の夢に対してどのような意味を持つのか、

そして何のための仕事なのか、

それを見出せることができるか。


それ次第で私たちの人生の充実度は大きく左右される。オーナーシェフになるには料理もできることも大事だが、それ以上に、店の中で生み出される仕事を把握していなければならない。ゆえに、接客を学ぶことがそれすなわちオーナーシェフへの道と考えるべきではなかっただろうか。


自分の期待通りのものが自分に向かってくることを期待してはいけない。

そもそも

「選んだものが自分の期待通りであるか否かを考える」ではなく

「どうやって選んだ道、与えられた道を自分の期待通りのものに作り上げていけばいいのかを考える」べきである。


それを考えずに、自分の与えられた環境に文句をいい、結果がでないことを環境のせいにし、その環境の中で自分をどう磨き、どう夢に近づこうと考える意思をもたないならば。


それはどんないい言葉を言おうが、どんな大きな夢を持っていようが、


バンビーノ、つまりガキンチョってことには変わりない。



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みなさんの大学も最近始まったことだろう。自分も昨日から始まった。

・・・といっても、四年なので学校に行くのは週に一回なのだが。



ということで、今回は大学で教授が言った名言を提示したいと思う。


・・・・・・・・・・・。



いつだったか。夏休み明けの初講義だったか、春休み明けのその学年初の講義だったか覚えてないが、新たに取ったドイツ語初歩の教授がガイダンスで言っていたことがある。






「え〜、この授業を担当する、Kです。この授業をシラバスで見た方はいるでしょうか?この授業はですね・・・・」




と授業のこれからの進め方などを説明し始めたが、シラバスをwebで見ていた俺はその説明を飛ばして、一人で内職していた。


・・・としばらくすると、「成績のつけ方」に話が移った。俺も耳を傾けることにした。




「え〜、もちろん文部省が決めている基準に則って、僕も出席を取って、1/3以上の欠席をした方には単位をあげません」



・・・・・・チッ。わかってんだよ、そんなことは・・・。



俺はハッキリ言って大学にぜんぜん力を入れていない。

何故なら、俺にはそれ以外に「やらずにはいられないこと」があるからだ。

大学で学べることも非常に大切なことだ。


ただ、それは大学に通っている人間が全員そう思えるかというと、それは否。

俺をはじめとして、それ以外にやりたいことがあって、実際に頑張っている人間もいるだろう。


俺は大学で学べないことの方が好きだったから、そっちに力を入れている。ただそれだけのこと。


だから、単位をどう取るか。いかに楽に取るか。


それしか考えてない。


だから、早く試験方法を教えてくれ。








この後は試験方法を教えるはず。




だが、



そう思っていた俺の耳にいつもとは違う言葉が入ってきた。




「・・・・みなさん、この文部省の決まりが何を意味するかわかってますか?」








・・・・・・・・・・・・・え?





「逆に考えてみましょう。この授業は13回。なら、その1/3以上休んではいけないということは・・・・3回“は”休んでいいと言っていると思いませんか?」






・・・・・・・・。






「僕は別にドイツ語を学ぶことだけが大学で学べることとは思ってませんし、もちろん、あなた方の専攻があなたにとって最適であるかというと、そうでないという方もいるでしょう。



だから、この3回休めるということを有効に使ってください。もちろんこの授業に限らず、他の授業においても、です。ズル休みに使うのも人の自由ですが、それでは何の糧にもなりません。



自分がやりたいこと、やってみたいこと、何かあるはずです。


またはそれを見つけた時。


そんなときこそ、学校に縛られずに休んで行くべきだと、そのための猶予がこの三回分であるべきだと、僕は思っています。



ですから、出席をこの授業では取りますが、三回分休めるということを念頭において授業を受け、何かを見つけた時は大学に留まらず、色々な挑戦をしてみてください」









この教授・・・・・・・・・・・・・・・・・






















粋っっっっっ!!!!!!!!




あっぱれ!!!!!





俺もこの教授と同じ考えだ。


俺たちには自由に空を駆け回るための「意志」という翼が生まれた時からついている。



それを高校までは「羽の使い方」「空を飛ぶときのルール」を教えるために「檻」の中で厳しく教育されてきた。これもまたイイ期間である。

そして、この大学時代というのは「自分で空を実際に見てきて、自分の住むべき場所を見つけてくる」期間なのだと思う。


大学や親の保護という「住処」はまだあるが、いずれ自分の「住処」となるところ――それは仕事、ひいては生き方を指す――を見つける。そのための期間なのだ。


それなのに、「檻」が消えたことに気づかないで飛び回ろうとしない引きこもりや「檻」の中で遊ぶだけで満足している者が多い。


「檻」の中で育つ動物は長生きするものはいないというのに。



大学生活で与えられている「自由」をある程度の制限の中でどう使うか。



それを考えたときに、あなたの学生生活は足元から充実感が溢れるだろう。




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「勝兵はまづ勝ちて而る後に戦い、敗兵はまづ戦いて而る後に勝ちを求む」
(孫子)


『孫子』(そんし)は、中国春秋時代の思想家孫武の作とされる兵法書である。後に武経七書の一つに数えられている。古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つ。(wikipedia)


この名言の意味は「勝つ軍隊とはまず勝ってから戦うような軍隊で、負ける軍隊とはまず戦ってみてからその後に勝とうと試みる軍隊だ」ということである。




そう。

戦う前から勝負というものは決まっているのである。



軍隊に限らず、人間社会において何かに勝つためには必ず「絶対勝つ」という心が大事であり、そう思うことがは事前の準備を最大限に行うことにつながる。勝つイメージしか頭の中にないのである。そして、事前の準備を万端にして、勝つ。当然の道理だ。



逆に、人間社会において負ける、もしくは負け続ける輩とはどのような心でいるものなのだろうか。それもこの『孫子』では鋭く考察している。

負けるような人間とは「やってみなきゃわかんない」といって、「いや、何があってもこの勝負に勝つ」という心を持つことをしない。よって、本番まで何もせず、いざ本番になったときには「出たとこ勝負だ」などと言って、みみっちく勝とうとする。無駄なあがきである。



本番の結果の99%は事前の準備で決まる。



そして、事前の準備を最大限にする最低条件は「勝つイメージしか持たない、頭の中で買っている」ことである。



私たちも普段から「出たとこ勝負」なんて言ってしまうことがあるが、もう本番の時点で勝敗は決まっているのである。

普段からの努力をしよう。それが本番や突発的な出来事にまで対応できるようになり、文字通り「勝ち続ける人間」になれるのだから。


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今日は俺が高校時代に世話になり、そして俺という人格を作り上げた恩師“カッちゃん”の名言を提示しようと思う。

昔から、カッちゃんは名言が多かった。メモしているものも多数あるのでこれから多くこのブログで出てくることになるだろう。


今日のカッちゃんの名言は…




「迷ったら高みを目指せ」






である。



人生には選択を迫られるときが数多くある。




「このプランとあのプラン、どちらで行くべきでしょうか」


「これをやるべきかやらないか」




もちろん、ギャンブルなどの「こっちとあっちの台、どちらにしようか」という選択ではなく、自分自身がその選んだものに対して仕事や活動をしなければならないときだ。



そんな時、どうやって選ぶか。



自分の現状の能力でできそうな方か。


勘で選んだ方か。




そんな時にカッちゃんは言うのである。




「迷ったら高みを目指せ」




今の能力でできるとかできないではない。



高みを目指せる方を取るべきなのである。

楽な方でいいやと思った瞬間から怠惰というものは急速なデフレのように加速度的に人を貶める。


あん時も妥協したからいいや。


これも妥協しよう。


この際、あれも妥協しよう。



そんな風に妥協の連続でついには這い上がることや上に挑戦する気概をなくしてしまう。



人生において、停滞は衰退である。


全力で走り続けなければならない。


「たまには立ち止まって考えなければならない」

という拙速主義を戒めた言葉もあるだろう。

もちろん拙速主義は避けなければならないが、立ち止まる必要などないというのが俺の持論だ。


どこかの社長も言っていたが、「考えながら動く。動きながら考える」ことが大事なのである。そもそもそんな立ち止まる時間を持っている人間はたいしたものではない。考える時間がない人間は考えながら動くのであり、それがプロだ。






・・・話がずれてしまった。




ということで、何らかの選択に迫られたとき、もしあなたが成長を目指す人間でえあるなら、高みを目指せる選択肢の方を選ぼう。


それは経営者に会えることだったり、スピーチをすることだったり、あなたにとって苦手で苦痛な選択肢であるかもしれない。それでも高みを目指せる方を選ぶべきである。・・・まあ、大抵高みを目指すには苦痛が伴うのだが(笑)


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高校の現代社会の先生が、受験を控えてみんなが緊張で堅くなっていた時期に、授業中に言った言葉がある。



「稽古は本番の如く     


本番は稽古の如く」



これはどうやら歌舞伎の言葉らしい。


この言葉は人生をよりよくしようとする全ての人に必要とする心構えだ。


なぜなら、人生をよりよくしよう、とすることは「今の状態」から良い方向へ「変えて」いくことであり、変えるということは何らかの障害や課題、試練と勝負をしなければならないからだ。



仕事でもっと上に行きたいという人は今の自分や周りのライバルたち、上司たちと鎬を削る場面があるだろう。



甲子園で優勝したいというなら、日々の練習に耐え、そしてトーナメントで勝負しなければならないだろう。


思い人と結ばれたいなら、それ相応に自分を磨かねばならないし、「告白」という、もしかしたら、それまでの関係を終わらせてしまうかもしれない一大勝負に挑まなければならない。




何かをよりよくしたい。


何かに勝ちたい。


何かを得たい。





そう思った時、勝負の時というものが設定される。



告白をする日を決めて、それまでに自分磨きや積極的なアプローチをする。
そして、告白する。


甲子園のある時期を確認して、それまでにひたすら練習を重ねる。そして、予選に出場する。


仕事で自分で商談のアポを取り、それまでに自分で商談の練習をする。そして、商談を迎える。





こうしてみればわかるが、世の中全て




「課題設定→準備→本番」



という実にシンプルな営みで表せる。




だが、誰でもそうだろうが、この“本番”というものが死ぬほど緊張するものなのだ。諸君も経験が少なからずあるだろう。その前の準備段階から緊張している者さえいる。


その緊張を程よくし、自信を持って挑み、勝負を制するためには普段からの心構えが大事なのである。その心構えを示すのが



「稽古は本番のごとく


本番は稽古のごとく」




練習の時から本番を意識せずに緊張感を持ってないやつが、本番で勝てるはずがないのだ。


緊張感を蔑ろにするやつは、緊張感に負けるのだ。




逆に、普段の練習から

「本番はもっとキツイはずだ」

と緊張感を持って、本番で起こりうる試練より高い負荷を練習の時からかけているものこそが、勝負を制する。



俺はサークルに所属している。そこに親しくしている後輩がいるのだが、


その彼が稲盛和夫さんの著書から


「毎日毎日をど真剣に生きる」


という言葉を引用し、自分もかく生きると宣言していたが、今回の言葉と同じ境地の言葉であろう。


この言葉を実践している彼は将来必ずその名を馳せるにことになるだろう。


彼の思考を垣間見たいという方はぜひ覗いてみるといい。


とある大学生の思考生活 in 福岡





我々も何かを成し遂げようとするときは、このような境地で姿勢正しく、力強く準備し、堂々と本番を迎えようではないか。




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