お金持ちになる方法研究会(金方研)

お金持ちになると決めて早5年。実際にお金持ちになる道を突き進みながら日々思ったこと・勉強になったことを綴る密着ライブブログ!

カテゴリ: 妄想

「殿(しんがり)は任された」

その力強い言葉とともに、男は背を向けた。





二年前からいがみ合っていた和国と隣国・孫はついに刃を交えることになった。


幾度の小競り合いをして、双方の戦力を測った上で、互いに

「これが運命を握る一大決戦となろう」

と予測された大合戦がここに行われたのである。



その勢力図は・・・・・



和国軍勢600に対して、孫の軍勢は優に2000超。



数から言えば、必敗の様相を呈していた和国軍だが、退くわけにはいかなかった。



戦争においては「士気」というものが非常に重要になる。



戦力という概念は通常、武器の性能と武器の貯蔵量の合算によって計算される。



しかし、それは現場でなく、会議室で話し合った、現実性に欠いた概念としかいいようがない。

実際の現場、つまり戦場という「地獄」にはもう一つの魔の要因が人知れず追加される。


しかも、合算ではなく乗法によって。それが士気である。


つまり、戦力という概念の正しい計算方法は


戦力=武器の性能+武器の貯蔵量


ではなく、


戦力=(武器の性能+武器の貯蔵量)×士気

である。


おそらくこの士気という観点から語れば、古代から現代までの戦争全てを語ることができよう。


それほどの一大要因。





したがって、一大決戦と誰もが理解しうる、この決戦において「自軍が勝負を避けた」と聞けば、内部崩壊は不可避。


やむを得ず、和国軍は大将の号令に従って、突撃した。









「ぐはあああああーーーーっっ」



ドサリ。



また一人倒れていく。




予想していたことではあるが、和国の被害は燦々たるものだった。


あまりの兵力差に和国は惨敗を喫した―いや、それは正しい表現ではない―。


和国は惨敗を―




「退却、退却だ―!!!!!!!敵が追ってくるぞ!!」




喫する、直前なのだ―――!!!!



そう、まだ負けてはいない。



この戦いによってかなりの被害を被ったが、和国とてみすみすやられにいくほど馬鹿ではない。


あらかじめ負けることを想定しておき、この戦いにおいて最低限入手すべきものを事前に考えていた。それは―



相手の大将、中に君臨する武将たちの戦力のデータ。


相手の戦略家の思考パターン。


兵が現場においていかほどの動きをするか、その練習量の推察。


つまり、総力戦によって垣間見える相手の「真の戦力」を見極めんがため。


たかが情報。


だが、その“たかが情報”のために和国は命を懸ける―。




この決戦において敵に背を向けての退却など、もとより承知。


退却など敗北のうちに入らん。




合戦において勝敗の決し方は一つ。


どちらかが全滅することだ。


そのゆえに、全滅しなければ、敗北ではない。


もうデータは取った!次の合戦で目にもの見せてくれるわ!!




そう意気込んで復讐を誓う和国は、ひたすら―逃げる。



何から?



そう、孫軍だ。



孫軍とて、馬鹿ではない。ここで全滅させなければ、自分の喉下にいずれ刃をつきつけられることを理解している。


どんな小さな芽でも、たとえ残り120の矮小軍勢だとしても、ここで止めなければ―!


次は、俺が、―やられる―!!!






逃げる和国。追う孫軍。



縮まらないように思えたその距離もやはり、体力の余り具合でも優勢であった孫軍によってどんどん縮められていた。





(続く)


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今日は地元・福岡で放送されていたCMのテロップだけを見せることにする。

初めて見たとき、言いようのない感動に包まれた。自分自身がこうありたいという気持ちを再燃させ、かつ自分は何のために、誰のために生きているかを再認識させられたCMだった。たった30秒なのだけど、そこには

「人生をどう生きるべきか」



という問いへの絶妙な答えがあった。







                 『時の商人』




その商人は時を売っていた。


「いらっしゃいませ。時はいかがでしょうか」


ある女は1週間買った。


1週間買った女は、


それを海外旅行に使った。



「10年欲しいのだがね」


ある老人は商人に聞いた。


「10年だと、すこし値がはりますが」


「かまわん。」


10年買った老人は、


それを病気の妻に譲った。   



時に、ドラマを。   


 長野時計店





・・・・・。




素直にこの老人に憧れた。

生きるということはすなわち、自分がやりたいことをただやるのではなく、

大切な人や恋人、友人たちに貢献することだと俺は考える。 




自分ひとりでいい思いをして、何が楽しい?


自分の横に笑ってくれる人がいないことがどれだけ悲しい?


自分の横で笑ってくれる人がいることがどれだけ嬉しい?


自分の横で笑ってくれる人を自分の手でもっと笑顔にできるとしたら、どれだけ幸せか?






10年分のときを買うということはどういうことだろう。

それは人生全てを使って、老人になるまで身を粉にして得たもの、その全てを失うほどの値段であったろう。


汗をかき、血を流し、大粒の涙を幾度もなくこぼしながらも努力して得たもの全てを、

彼は投じた。




自分のためではなく、愛する妻のために。


あんなに長年苦労して得た、むしろ「彼の人生」と言っても差し支えないほどの巨額のものを投じるときにさえ、



彼は動じなかった。



「かまわん。」



躊躇なくただ、その一言だけを発しただけだった。




そう。



彼にとって、人生で得たものとは金でも能力でも、自分に利益をもたらす何らのものでもなかった。




それは妻との間に育んだ愛情、思い出。





彼はもともと妻を幸せにするために生きていた。


だからこそ、長年通じて培ったものが妻のためになることに使えるならば、

本望なのだ。


躊躇しなかった。


むしろ、最大の喜びに変わった。






自分自身も自分の大切な人たちを幸せにするために生きたい。


そして、その信念をあの老人のようにいつまでも持ち続けたい。




俺は思う。



あの老人の心の時計は、


「大切な人を幸せにする」と決めたときから、

ずっと止まったまま、


年をとってないんじゃないかと。






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