昨日、自分の更生日記にするとか言ってましたが、やめにします(爆


こういうと変な風にとられるかもしれませんが、手は正直です。

口や思考は日々の中でなら矯正(「こんなこと考えてたらいかん!」とか)できるんですが、いざ自分の思考や考えを書こうとしたら、本音しか書けないですね。驚きです。。手が言うこと聞かないというか、自分のその時々の本音しか書けないんですよね。。。

顧問のKさんが激しい口調になるのもわかる気がする(笑

ということで、あんま綺麗なことばっかり書けないと思います(笑


このブログの存在目的はKさんのブログ内の言葉に非常に共感を受けて設立されました。




『多くの期待を受けて挑戦する学生。

彼らが準備段階から「今回は頑張りました。今度は違いますよ」と言ったら、親や先輩、面接官、友人はどれだけ喜ぶだろうか。

「だめだ、準備しなかったから」などと聞けば、どれだけ悲しむだろうか。



自信がない人間は思いやりもない。』(2008.5.13)



『学問は何のためにするのか。

青少年は何のために学校に行くのか。

答えは様々だろうが、その一つは、「他人の顔色を窺わずに、自分一人で責任を持って思想や意見を表明できる人間」になることだろう。』




『私は意見の性質に不満があるのではない。意見の作り方、持ち方に疑問を感じるのだ。どうして、その言葉に人生観をぶつけて、本気で言い切れないのか。』


『私は、他人の顔を見て手を挙げるか挙げないかを考える連中や、職の本分を尽くさない大人が大嫌いだった。』



上記の言葉の共通点を探せばわかると思うが、このブログの存在目的は




どんな状況でも変わらない“自分の意見”をもてるようになること



その主張を自己に落とし込むことでその主張をするだけの資格を持てるような努力につなげられるようにすること



シンプルに二つ。


実際、俺も周りに迎合しやすい人間に過ぎない。人前で自分の主張をいえないことだって多くある。

現状はどうだって構わない。

俺は来年から(厳密には来年からじゃないけど)、文字通り人生を懸けた人たち、すなわち社長たちと議論や行動を共にして俺やその社長にかかわる人たちの人生を担って行く仕事につく。社長が社長自身の人生をベットしてる時に、こっちは自分の保身のために「ご機嫌取り」をベットしていいのだろうか。どう見ても釣り合いが取れるわけない。


社長たちと渡り合うためには俺も本気でやらねばならない。


自分でしっかり考え、成長し、どんな相手にだって臆することなく自分の意見を主張してみせる、そんな現代の「白州次郎」を目指したいものだ。