・錬磨の功

とっさの出来事を泰然として一瞬に処理する能力は、どんな俊敏な頭脳の中にもたくわえられてはいない。それは体験に即し、事上に錬磨の功を積んで得られた意識化の能力なのである。

(下村湖人)



この言葉はあらゆる才能に恵まれていない自分には響く言葉である。

予定され、結果が決まった活動を作業という。作業は能力もあまり必要がない。

だが、予定外のこと、結果が自分次第で変わるものを仕事という。




その“仕事”の結果を決めるのは天才的な頭脳や勘や才能ではない。そう下村湖人は言うのである。


何百、何千、何万回とやりつくし、その度に上を求めたものだけが成しうるものを敬意を含めて“仕事”と呼ぶのだと俺は思っている。



空手をやっていたとき、師範はよく言っていたものだ。



「実際の組み手で力を出すためにはどうすればいいと思う?」


「・・・・・考えながら戦えばいいんですかね?」



「マンガのように戦いながら考えるのか。実際、そりゃ無理な話だ。組み手になったら、みんなマジで考えている暇なんてない。

だからな、


技が自然と出るまで、体が覚えるまで練習する。

パンチが来たら、勝手にガードをする。相手の腹が空いたら、既にボディーブローを打ち込んでいる。

その境地まで体の動きを鍛えてないと、とても強くはなれない」





どれだけ普段の錬磨が大切か。

「本番の結果の九割は準備で決まる」



という言葉がある。自分ももっと普段から錬磨をしよう。そう思える言葉だ。



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