『質問をする以上、

相手がこちらの質問の意図を理解しようと歩み寄らなければならないような質問をしてはならない。


相手が意図をすぐ理解できるように質問をまとめておくのが礼儀だろう。


相手に労をかけさすな。自分が労を持て。

質問するのだから。



そして、その前提として、努力ぐらいしてこい。』



前回こんなことを書いたが、今日インターンシップをしている会社の社長が同じ趣旨の言葉を発していた。


「やっぱり、可愛がられる人材ってのは質問の仕方が違うんだよ。前提として、努力してくる。これは当たり前。

そして、
『自分でやった結果、こんな結果が出たんですけど、原因は何でしょうか?私が考えるに、三つ原因が挙げられると思います。それはjこれとあれとそれだと思うのですが、合っていますか?』

という結論を既に自分で考えてきて、

その結論が合っているかどうかの確認をする趣旨の質問。

それをしてくると、努力をしているところもかわいらしく感じるし、かなり具体的でこっちがパッと答えられるように質問をまとめているところに礼儀を感じるんだよね。やっぱり、社会人は忙しいし、上の人ってのは毎時間何万円もの利益を生み出すような人材ばっかりだから、そんな人たちに質問するってのはその時間の利益を奪うっていうことなんだよね。そこをしっかり理解している人間はいいね(^^)

逆に、『これ、どうしたらいいんですか?』って丸投げの質問をする人を見たら、その人の人格を疑ってしまうね。悪いけど(^^;)

むしろ、『かわいそう』と感じるくらいだよ。」





ちなみに、この社長はかなり優しい人格の方で、少し菩薩の域に達しかけている人である。その社長をして「人格を疑ってしまう」と言わしめるほどの威力を持つのだ。質問の仕方というものは。


逆に言えば、チャンスでもある。上に挙げたような理想的な質問の仕方をできる人は少ないのだから、その質問の仕方を身につければ、情報がどんどん入ってくるとも社長は言っていたのだ。



自分も気を抜くと、浅はかな質問をしがちなので、これから気をつけよう。

そう考えると、自分で調べることっていくらでもできるから、「わかんない」という言葉はやはりただの怠慢を示す言葉でしかないのかもしれない……自分で言っていて胸が痛い・・・・。





ちなみに、今日電車の中で思ったのだが、最近自分は傲慢すぎると思う。自己中心的だとも思う。うぬぼれているような気がする。


謙虚という言葉を何故か痛く感じた。大体、傲慢さが過度になると、自己調整機能が働いて「謙虚になろう」と思うのだが、どうやらそのレベルまで来ているのだろうか。


よし!!!

自分から主張しない!

目立とうとしない!

自分は最低の才能なしと思え!

相手はいつだって最高と思え!

自分の力をひけらかすな!



これでいこう。謙虚さを失ったら人間として終わりなのだっっ!!


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