お金持ちになる方法研究会(金方研)

お金持ちになると決めて早5年。実際にお金持ちになる道を突き進みながら日々思ったこと・勉強になったことを綴る密着ライブブログ!

人に教えるというのは難しいのお・・・・(>ω<;)



と感じる毎日(というか木曜日)。


ついに卒業も近づき、今やっていることは後輩の支援がほとんど。


それで最近人に指摘しなければならない場面が増えてきた。あまり指摘というのは好きではないんだが・・・。


俺の理論は切れ味がいいのか、俺が指摘するとすごい柔らかく言ってもかなりヘコんで帰ったりする。


この卒業前に俺はどれだけ嫌われていくんだろう・・・・。



・・・ま、いっか!!もともとそういうの気にしないですしー。


後輩がいい結果残してくれりゃそれでいいわけでー。




という感じでやっているわけだが、最近自分が的確と思っていた指導も結構ボロだらけであることが発覚した。


ボロかどうかは相手の顔を見ればわかる。


明らかに納得していない。



(う〜〜〜ん・・・・・)



という、絶賛悩み顔なのである。



それで、自分なりに自分の指導を見直してみると、自分自身に非があった。


「指摘の大原則」を忘れていたんだな、これが。



「俺流 指摘の大原則」


相手が何をしたいのか、

何を言いたいのかを、

徹底的に、

肯定的に、

感情を交えず、

理解しようと努める。

相手の意図を完全に理解するまでは一切口を挟まない。






これである。


昔はもっと慎重に人の話を聞いてアドバイスをしていたからこそ「なるほど!」といわれていたのだが、最近は心まで尊大になったのか、相手の話を少しないがしろにしていたようだ。



イカンイカン!!!



今日からまた人の話、聞きまくりだあああーーーー!!!!




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今日で俺も23歳。

昨日で大学生活最後の大仕事、卒論も終わり。


文字通り、4月からの社会人生活に向けて心機一転するにふさわしい日である。

今日から一段と社会人としての意識を高めていくぞ!!


そして、パソコンも心機一転することになった。



買い換えたんじゃない。
























壊れたから、初期化して今までのデータがすべて消え去ってスッキリしたのさ・・・(号泣)


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俺が集めている漫画の一つに週刊少年ジャンプに連載されている「アイシールド21」がある。

私立泥門(でいもん)高等学校に通う気弱な高校生、小早川瀬那は入学早々ひょんな事から泥門高校アメフト部「泥門デビルバッツ」に主務として入ることになった。

その帰り道、彼をパシリにしていた不良たちに絡まれ、逃れるために泥門駅まで爆走して駆け込み乗車をした。それを目撃したアメフト部主将ヒル魔に翌日強制的に選手にされ、唯一の取り柄である俊足で選手登録名「アイシールド21」として春大会を戦うことになる。


それから猛特訓を経て、秋季東京大会を勝ち上がり、そして全国大会決勝(クリスマスボウル)出場を仲間達と共に目指していく。



要するにアメフトを題材とした青春スポーツ漫画だ。


俺は単行本を集めているが、その中のコラム欄(よく漫画の話と話の間にある作者のお遊びページ的なもの)にイイ言葉が載っていたので紹介することにする。


「ダレル・ロイヤルの手紙」というものだ。


テキサス大アメフト部の名コーチ、ダレル ロイヤルが夏休み帰省中の選手達に送った手紙らしい。闘争心とフットボールへの愛情が表れた名文である。




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親愛なるロングホーン諸君。

打ち負かされる事自体は、何も恥じるべき事ではない。

打ち負かされたまま、立ち上がろうとせずにいる事が恥ずぺき事なのである。

ここに、人生で数多くの敗北を経験しながらも、その敗北から、はいあがる勇気を持ち続けた、偉大な男の歴史を紹介しよう。



1832年 失業

1832年 州議選に落選

1833年 事業倒産

1834年 州議会議員に当選

1835年 婚約者死亡

1836年 神経衰弱罹病

1838年 州議会議長落選

1845年 下院議員指名投票で敗北

1846年 下院議員当選

1848年 下院議員再選ならず

1849年 国土庁調査官を拒否される

1854年 上院議員落選

1856年 副大統領指名投票で敗北

1858年 上院議員、再度落選

そして1860年、彼は米国大統領に選出された。


彼の名前はエイブラハム・リンカーンと言った。




諸君も三軍でシーズンをむかえ、六軍に落ちる事があるかもしれない。

一軍で始まり、四軍となるかもしれない。

諸君が常に自問自答すべき事は、打ちのめされた後、自分は何をしようとしているのか、という事である。

不平を言って情けなく思うだけか、それとも闘志を燃やし再び立ち向かっていくのか、ということである。

今秋、競技場でプレーする諸君の誰もが、必ず一度や二度の屈辱を味わうだろう。



今まで打ちのめされた事がない選手など、かつて存在したことはない。


ただし、


一流選手はあらゆる努力を払い、速やかに立ち上がろうと努める。



並の選手は立ち上がるのが少しばかり遅い。



そして敗者はいつまでもグラウンドに横たわったままである。






本当にいい文章だ。


俺には特に心に響く。


なぜなら、この文自体が俺の人生を現しているからだ。


この文を読むたびに自分のこれまでの人生を思い出す。




自己の運動神経の無さに愕然とした中学時代。


人間の本性の愚かさ・醜さを知り、己にもあることを悟った高校時代。


人間としての「核」を持ちきれない己に業を煮やした大学1,2年時。



自分は人より考えすぎる癖のせいか、いつも悩んだ上で必要以上に自分を貶めることがあった。



「自分はなぜ才能の無い男なのだ?」


「自分はなぜこうも男気が無い男なのか?」


「自分はなぜこうも何一つ結果を残しきれないのか?」



常に「できない自分」を蔑視してきた。



しかし、今考えてみれば、当時の自分でも凄いなと思えるところがあった。




「執念」である。




トラブルにぶつかることは誰にでもある。


今その場で解けないトラブルや弱点もあるだろう。というか、そっちの方が遥かに多い。


無数にあるそんな障害に対して俺は「あきらめる」という選択肢を持ったことがなかった。



肉体が貧相なことを悟っても「絶対いずれはパワーのある男になる」と誓い、



成績の悪さをを知ったなら、打ちひしがれても必ず「来年には第一志望に受かってやる」と思い、



自分の性格の悪さを知ったなら、「必ず器の大きい男になる」と決めて、それを疑わなかった。



この過程で何度打ちのめされたことだろうか。


今の俺しか知らない者には想像できないであろうが、俺はかなり考え込むタイプであり、ネガティブ思考の持ち主だった。


他の人が「これくらいいいか」というところで、俺は「なぜ俺はこんなこともできないのか」と嘆き、自分を責め、軽蔑した。



外面はギャグばっかり言ってるお調子者だったが、内心はひどく荒れていた。


だから、「お前は気楽でいいね」と言われた時には、何度もそいつの顔をボコボコにしてやろうかと思った。



・・何も知らないくせに。


・・・俺が毎日どれだけ考え、悩んでいることさえ知らないくせに!



・・・・そんな口を聞くなっっ!





・・・とこんな青年時代を過ごしてきたのだが、その執念によって少しづつ自分の望みが叶う、要するに成長していった。



しかし、成長するのが遅かった。ちょびちょびずーっと続けるのは得意だが、何か足りない。


そう思っていた。


そして、気づいた原因が「感情の揺れ」だった。


自分を成長させようとすると、現実との摩擦が生じるが、そのたびに俺はヘコんだりイラついていたりした。

そして、その気分が治るまで時間がかかっていた。

一度イラついたりヘコんだりすると一週間続く時もあった。


感情が揺れると作業に支障が出る。集中できなくなる。


だから、その作業から得られるものが得られなくなる。


結果、成長するのに時間がかかる。


感情の起伏がどれほど成長に障害をもたらすか。


感情の起伏が持つ、その多大な影響力に俺は当時薄々気づいていた。




感情を揺らさないように、そして冷静に物事に対処するためにはどうすればよいか。



それを四六時中考えていた。



その方法がわかって、成長率を倍化させたのは大学一年生の頃だった。




当時俺は居酒屋でバイトをしていたが、その日もシフトに入っていた。



そこで、俺はなんとなくぼんやりと料理長の包丁捌きを見ていた。


料理長はいまどき珍しい江戸っ子気質だった。


「てやんでい!!」という言葉はまさにこの人のためにあると思った。


バイト全員恐れていたが、俺は恐れながらもその男前な気質、有無を言わせない料理の技術に敬意を抱いていた。


料理長の包丁捌きは異常だ。


キッチンにいるほかの人が魚を捌いているのと比べると天地ほどの差がある。


それが副料理長であっても、だ。


一匹の魚を水槽から取ってきて、まな板の上にドンと置く。


その瞬間、料理長によるショーの幕が上がる。


失敗の恐れも何も無く、自分が切りたいように切っているように見えるのに、できた刺身は鳥肌が立つほど、きれいで、見る人を感動させるような盛り付けまであしらえる。


その包丁捌きを見つつ、


「やっぱ、達人は違う。俺もあんぐらい早く“立ち直りの達人”になりたいもんだなぁ。けど、性格は包丁技術の鍛錬とは違うし・・。どう努力すればよいものか・・・」



とぼうっと、自分とはかけ離れたもののように眺めていた。



その刹那。





「違う!!!」




という叫びが脳内に起こった。



その次の瞬間、俺の脳みそが独り言を高速で言い出した。




「料理長はなぜあんなに早く、そして一回の間違いも無く、魚を捌ける?生まれたときから達人だったのか?
 
そんなバカな話はない!!

そうさ。料理長は才能ももちろんあったかもしれないが、そんなのは微々たるもの!努力、・・・努力なんだ!!

では、どのような努力なのか?

それは『より早く、より正確に』をモットーとして、何十年も努力してきたに違いない!!

一日やっても0.000001秒しか早くならないかもしれない。

また、昨日よりも一枚綺麗な刺身ができただけかもしれない!!

だが!!

“微々たる”努力かもしれないが!!!

それを休むことなく、常に続けてきた“積み重ね”が今の料理長を形づくっているんだ!!


ああ、それはわかっているさ。俺も筋トレで“積み重ね”が必要なことは知っている。


でも、性格は違うだろう。技術うんぬんとは鍛え方が違う・・・・・・・・





いや、この考え方が間違っているんだ!!!!!




性格も包丁捌きの練習と同じに違いない!!!!!





どれだけがんばっても性格が0.000001mmぐらいしか上方向に行かないかもしれない。


だが、どれだけがんばったかに係わらず、0.0000001mmでも上方向に行けばいいじゃないか!!


その積み重ねを気の遠くなるほどの長期間でもいい。最後まで続けてやる。


「ウサギとカメ」のカメのように。

そうすれば性格の要素に関係する“感情の起伏”も絶対達人という境地に行けるはず!!!!


俺は・・・・・・・・・・あきらめないっっ!!!!」







よく俗世間では「性格は生まれつきだから」「性格だけは変わらない」と言われる。


「感情の起伏」もその部類に入るだろう。


「怒りやすい」「気落ちしやすい」という言葉があるように感情の起伏の仕方も性格の一つとして見られている。


性格は鍛えられるようなものでもないし、努力の仕様がない。



そう思っていたが、この悟りによって、「感情の起伏の修練も包丁捌きの修練も同じ」という認識に至り、少しでも感情の起伏を無くそうという努力に走って、毎日毎日頑張れるようになった。


性格を変えようとする努力の成果は確かに数値で図りづらいし、目に見えにくい。



しかし、「感情の起伏の修練も包丁捌きの修練も同じ」という認識を変えた時からどんどん俺は変わっていった。




一週間ヘコんでいたのが四日間に。



四日間ヘコんでいたのが一日間に。



一日間ヘコんでいたのが12時間に。




このように徐々に短くしていき、今ではへこむ時間は30分もない。



まあ、まだまだだがwwwwwwww


そもそもヘコんだり、イラついたりすることがなくなってきた。



そして、すべてがうまくいくようになった。



まことに立ち直りが早いというのは恐ろしいことよ。


これによって、俺はどれだけの利益を得たかしれない。



だから、この名言にのっている基準がどうかは知らないが昔の俺が今の俺を見たら、一流の人間だと思うだろう。



これからもずっと、俺は常に立ち直りの早さを研究し続け、成長し続ける。


5年後の目標は「ヘコみ時間30秒」だ。



そして、感情の起伏に悩んでいる諸君。



感情の起伏は直せる。


毎日毎日の努力が必ず君の感情、または性格を高みまで持ちあげる。


「性格だし」と言わずに辛抱強く頑張ってほしい。


まずは「感情に起伏を直す」と決めて、疑わないこと。


その想いが実ったとき、周りに君を慕う人間がたくさんいることに気づくはずだ。



お互いよい人生を!!!!!!


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