お金持ちになる方法研究会(金方研)

お金持ちになると決めて早5年。実際にお金持ちになる道を突き進みながら日々思ったこと・勉強になったことを綴る密着ライブブログ!

・・・最近。

自分の中に新たな葛藤が生まれている。内容的には過去にも似たようなものを経験したけど。

このブログの設立のきっかけにもなったKさんの「職の精神史」。その言葉をまた抜き出す。

 『学問は何のためにするのか。

     青少年は何のために学校に行くのか。答えは様々だろうが、その一つは、

   「他人の顔色を窺わずに、自分一人で責任を持って思想や意見を表明できる人間」

   になることだろう。』




『私は意見の性質に不満があるのではない。意見の作り方、持ち方に疑問を感じるのだ。どうして、その言葉に人生観をぶつけて、本気で言い切れないのか。』




この言葉を中心にして自分を見てみよう。

              自分の意見を持つ。

これについては自信がある。自分が出す答えには自信を持っている。もちろん完璧とは程遠いが、自信もない意見を出すより相当マシだ。それに意見をする資格を得るくらいは努力してきたつもりだ。
 こういうことを言うと「傲慢野郎」と思われるかもしれない。だが、もうひとつ傲慢を言わせてもらおう。

            間違ってても素直に認める。
これも自信がある。間違ってても素直に認めればいいわけだし、その一番難しい「素直に間違いを認める」こそサークルで学んできたものなのだ。思いっきり走って、思いっきり転んだなら、「くそーーっ!!」と悔しがって次の対抗策を謙虚に考えればいい。しかし、たまに俺のことを「傲慢で意見を曲げない奴」と思ってる輩がいるようだが、そんなことは俺と話し合ってから言え。話し合わずに何が「あいつは傲慢野郎」か。俺のエネルギーにビビってる弱者に悪口を言われる筋合いは無い。俺は頭から相手を否定したりすることはない。


 とは言うものの、俺にも悪いところは多々ある。怖がられるような言動は多いし、自分の体格や目つきが悪い印象を与えるということを失念して「本気で語れば、相手はわかってくれる」と思い込んでしまう時が多々あるから、そこは直そうと思う。

相手が自分のことをどう思ったかに怒る暇があったら、自分がそう見られる原因を自分の中に探す時間に使った方がよっぽど効率的だ。もう22なんだから自分が相手にどう思われるかは自分で責任を持たねばならない。悪い印象をもたれるならば、相手側の問題もあろうが、悪い印象を与える何らかの要因が自分にあると常に謙虚に考えていきたいものだ。愚者な俺は常に自分との戦いである。これまた楽し(^^)


・・・とまあ、自分の意見を持つことに関しては多少自信があるものの、実際それを

              「表明するか」

と言われたら、沈黙状態に陥る。

言いたいことがあっても言わない。

その原因は普通に臆病になったからではないかと思う。


中学や高校時代はどちらかと言うと「意見を表明する」と言うよりかは「言わずにはいらない」といったタイプだった。相手に憤ればそのまま言い放ち、

その時に比べれば、サークルで自分との戦いを少しながらでも続けてきた自分は、上の時代より幾分場を波立たせることはなくなった。


しかし、最近逆に「日和見主義」になったのではないかと感じる。憤ることはたくさんあるし、言いたいこともたくさんある。言いたいことを言える、そして言う資格のある人間になる、というこのブログの意義に反してないか?

でも、言わないとにかく「指摘はしない」。まるでパブロフの犬のようだ。




ここで、やっと今日の本題に入る。


             「本当の自分とは・・・」


日和見主義、事なかれ主義に陥っている原因はおそらく、目指す人間像の具体化の未熟さとベクトルの違い、この二つだと思う。



目指す人間像は「天衣無縫で豪放磊落」



天衣無縫(てんいむほう)とは

「故事成語。飾り気が無く、技巧が凝らした後が見えないよう、美しく出来上がっている詩文などを褒める言葉。また、そういった飾り気のない、天真爛漫な性格の人を指す言葉。」


豪放磊落 (ごうほうらいらく)とは

おおらかな性格で、図太く、些細なことにはこだわらないこと。「豪放」も「磊落」も、快活で心が広く、小さなことにこだわらないさまをいう。

【例】
誰からも好かれている豪放落楽な人。



これは昔っから惚れている俺の人間像である。高校時代からこういう人間に憧れてきた。今も変わらない。最近は忘れてたけど(爆

だが、実際最近はどうであったか。上に書いてあった通り、最近は忘れていた。なぜか。

それは新たな人間像に注目してたからである。それは単純に親友のTである。彼は人間関係構築力という点で俺にとって神のような存在である。だから、ひたすら真似してきた部分がある。しかし、いいところを吸収しようと思っているだけにとどまっているだろうか?

同化しようとしてないか?


実際、Kさんの教えをそのまま体現しているのはTであろう。だから、Tと行動をともにする俺自身もかなり見習ってきた。

だが最近、追いかける人間像が違う気を履き違えている気がする。もちろん、Tの性格がどうこうとか言う話ではなく、俺自身の問題で、


もしかしたら、そろそろ自分の道を歩んでいく分岐点に来ているのかもしれない。


間違わないでほしいが、Kさんの教えは人類普遍の法則だと思ってるので批判などするつもりは一切無く、これからもぜひ学んでいきたいと思っている。

だが、それを学んだ上でどういう人生を歩むか、その法則をどう体現していくかは個々人の色が出るし、抑え込むべきではない。


Tは「お前はすごい」とTと同列として認めてくれていた。俺も同列であったつもりだった。


が、実際はまだまだ「こいつにはかなわない」と思っていたのかもしれない。



最近どうしてこういう心情の変化が起きてきたのかを時系列で事実だけで考えてみると、「就活」が大きなキーワードになるのかもしれないことに気づいた。


自分の思いを伝え、自分という人間が評価されたことで大きな自信を得たのを節目とし、Tにはできないことがあって俺にはできることがあることに気づいた。その逆もしかり。


つまりは、やっと自分自身をTと同列と認めたのではないか。だからこそ、Tと違うタイプの人間であることの必要性と確信も感じたのではないか。(考えることはいっしょだけどね 。。。中身はいっしょで違う色って感じか 笑)

神様はまったく同じ人間なんか作らない。同じもの二つなら、無駄だからだ。


Tと違う色を出していくのを恐れていたのだろうか。

同列になった今こそTとの人間のタイプの違いを喜ぶべきではないのか。


これから目指す理想の人間像を早く確立せねばならない。Tと一緒にいる間に確立せねばもうその違いをハッキリ理解できることがなくなって本当の自分自身を見つけることができなくなってしまうかもしれない。


ということで、いろいろもがいてみまーす!!


なんかまとまりのつかない、整理のつかない日記だな(汗)



確実に自己練磨を続けてきた人間には一本の軸が形成され、文字通り思考や行動が「その人らしく」なり、「金太郎飴」のごとくなる。

その一本の軸は大抵その人を表す単語であらわせる。勇気や根性、向上心。。。キャッチフレーズとも言う。


例えば、

親友のTは“感謝の鬼”    だろう。


じゃあ、俺は・・・?


自己紹介がてら言っておきたい。俺は・・・・・・


                
                     ―“憤怒の権化、M”―


そう。俺の根本にある感情はいつだって憤怒だった。

納得いかない。

むかつく。

許さない。


青春時代は世の中の全てのことを憤怒の表現で満たした。そんな感情を持っていると良くないことはもちろんあったが、俺にとって憤怒という感情はなくてはならないものだった。

それは闘争心に変わり、成長欲に昇華し、そして自分の大切なものを守りたい、いや守らねばならないという熱い使命感に姿を変えたから。

青春時代はその憤怒という感情を他人や環境に向けていた。それがいけなかった。自己嫌悪に陥ることもしばしばあった。

しかし、大学に入ってしばらくして入部したサークルで「謙虚」という言葉を学んだ。

完膚なきまでに謙虚の大切さを説得された。反論のしようもなかったし、それを説いている人自身に文句のつけようがなかった。単純だが、非常に難しい「謙虚な心」。ひたすら実践してきた。根本から謙虚になるにはまだ到達してないが、傲慢と見られることはかなり少なくなった。


そして、今。

今まで出会ったこと無かった問題が浮上している。


それは「憤怒の復活」。


謙虚な心を体得する上ではまず落ち着いた心で、人を非難したりはご法度。

体得するためにがむしゃらに自分の憤怒の感情を押さえ込んできた。憤怒は他人非難の発生要因にしかならないと思っていたから。

それが最近人を注意または叱らなければならない問題にブチ当たった。


今日会った友人は「お前の憤怒は正しい。お前だから憤ることが許される」と言ってくれた。

それは今までの努力に対して評価してくれているからだろう。とてもありがたいことだ・・・・。


しかし、長年抑え込んできた憤怒は簡単に取り戻せない。


出したら、人をまた傷つけてしまうのではないか。


それにおびえるようになっってしまったのかもしれない。



「は・・はあっ!


                  ・・・・・・・くはぁっ!!  」」



聞こえるのは悶絶。


その声はしかし、外に漏れることなく彼の心の中にだけ響いた。


誰でもが自分の欲望を通し続けることなどできない。彼がその良い例だ。

耐えねばならないのだ。誰かがそう言ったわけじゃない。それでも彼の中にある“何か”がただ


                  ―耐えろ―


そう命令するのだ。


肉体はとうに限界を越え、悲鳴を上げている。その悲鳴は彼の考えを司る、脳にまで達している。



脳が響く。


心が揺れる。


くじけそうになる。


それでも守らねばならないものがある。だから、戦う意味がある。


だからこそ、今彼はこの場にいる。


いつまで続くかわからない戦い。それがどうした。ならば、終了まで耐えるだけ。


他に何がある―




その決意と覚悟に満ちた表情と姿勢は、かつてこの地に己の生き様を刻み込んで消えていった英雄たちの姿に似ていて―







ということで話を要約すると、僕は昨日の土曜日、法事に行って正座というものに、なんと30分も耐え切ったのです!!

※注意
上の話は少しだけ「正座に耐えた」という話を脚色しています。


いや〜とにかくきつかった!!その後、お坊さんの説教があったんやけど、その後ずっと「オカマ座り」やったけんね!!


※注記

オカマ座り=正座の格好から上半身を横にズラした形。かなりクネクネしている。


その最中に思ったことがあるんです。

それは


         「慌てない心、すなわち不動の心は限界の付近で鍛えられる」

ということ。さらにそれを推し進めて言うと、



       「その限界の訓練は精神的なものより、肉体的なもののほうがよい」


もしあなたが正座をやり慣れてない人ならば、本を読みながらでもいいんで30分正座してみてください。



限界に来るとなんと・・・・・



・・・頭がチカチカしてくるんですよ。そのときに思ったんです。



「ひっさしぶりだなあ〜!この何にも考えられなくなる感覚!!笑 」


本当にキツイ時って何も考えられなくないですか?だからこそ・・・


「この状況で思考できるような平常心を持てれば、最強にまた一歩近づく・・!フヒヒ!!」

と考えてしまうんですよね、僕は。



 成仏が唱えれている神聖なその場には一匹の悪魔が確かに、存在した。


実際、空手をやっている時にも思いましたが、普段から自分を磨き上げている人ならば最強になる最後のツメは「平常心をいかに保って考えられるか」なんですよね。強い人ってのは殴られても蹴られてもそれが痛くても動じない。攻撃を受けている時にでさえ「なるほど。こいつ左上段回し蹴りを放つ時、顔のガードが落ちる癖があるな」とか考えられるらしいです。すご・・・

よくある人間関係の悩み(僕にはあまり無い)。人間関係で悩んだ時だって、同じように二種類の人間に分かれるわけです。

 屬發Α△瓩鵑匹せえ!!」(思考停止)



◆屬覆襪曚鼻俺がキツク感じるのは人間関係かららしい。待てよ、そういえば、あの時のことが原因なのか・・・?うんぬん・・・。」(動じず、現状分析)



こういう△砲覆襪燭瓩砲呂匹Δ靴燭蕕いい?

それを今回の正座から学んだわけです。今日の話をまとめます。


●不動の心を習得するために その一 「限界を求められる場所に飛び込め!!」

過去の偉人や現に存在するすごい人(僕の例で言えば、空手の先輩)の共通点はみなキツイ経験、すなわち限界を越える場所で鍛えられてますからね。


●不動の心を習得するために その二 
     「その限界の訓練は精神的なものより、肉体的なもののほうがよい」

確かに心を鍛えるわけですから、心に負荷をかけるのが一番ですが、そんなことを常日ごろやってたら精神崩壊ですよね(笑)というか、そういう訓練を「続けられるよっ!」という人はぜひ一度精神科の方へ足を運ばれることをオススメします。肉体的なものは終わっても逆に清清しいくらいですし。でも、きつすぎるのを初めからできる人もいないッスよね。

だから、

手軽で、短時間で、場所を取らず、気軽に、限界を求める!


というちょっと破綻した文章を満たすには

正座を30分するのが一番いいと思います!!


みなさんもぜひ試してください!足がビリビリして頭がチカチカしてきた時こそ


「よし!今から明日の卒論研究をどう発表するか考えよう!」


など、思考が必要なテーマに挑戦してみてくださいね。ちなみに、僕は今日いつもは「体がなまらないように」程度でしていた“ジョギング”を体がきつくなるまでやり、きつくなってきた時に


「なぜ自分は巨乳に反応してしまうのか」を論理的に考えてみました。


出た結論は、、、


                         「本能だから」です。


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